こんにちは!

私が三葉虫クラブのおじさんです。

(モロッコにて。右側)

  

 

 

 

 

 

 

    

 TOP > ひとりごと > CH-17 人生ぐるぐる!

 

       

  CH-17. 人生 ぐるぐる! 

 
2009年に70歳になりました。                 (2009/11)

誰でも通るような人生で、とくに変わったことはないけれど、人生万事塞翁が馬『転んでも只で起きるな、石でも馬糞でも拾って立ちあがれ。』で、やりくりしてきた。そんな人生の脈略の無い話で、まったく参考にはなりません。

 

 *ー 副業をやろう。                                 (2009/12)

本業以外に副業を持つことは楽しい事です。お金が目的の場合もあるかもしれませんが、それよりも、新たに自分の可能性を広げたいと言うのが強い動機になるのではないかと思います。

このHP のような仕事は55歳ころ始めました。ソニーで62歳まで働いていましたので、これは完全に趣味的副業でした。それは別に書くとして、他にも副業をしている人がおり、そのうち二人の紹介です。10年ほど前の話です。

Hさんは翻訳業で年間2000万円以上稼いでいました。2000万円ですよ、もちろん会社の給料よりはるかに大きいかったでしょう。その翻訳とは、外国系の会社のカタログやマニュアルを日本語にすることです。お客は多いのに競争相手がほとんど無く、本当に着眼点がよかったと感心しました。

翻訳のやり方は、英単語を日本単語に一語一意で一括変換してしまう、彼独特のものでした。

さすがに2000万円と言うと休日、徹夜も結構やったし、正月、連休も返上して働いていたようです。もちろん本業の方もしっかりやっていました。

“そんなに儲かるなら、自分も”と何人もの人がチャレンジしましたが、誰も成功しません、彼の努力にはついていけなかったようです。私も勧められたけれど、やはり彼ほど根性が無かったので、金より楽をするほうを選んだんです。

彼は金のためでなく、あの仕事に情熱があったからできたので、他の人にはその動機が無かったのでしょう。

Tさんの場合は、起業家精神の旺盛な人で、いつも好奇心を燃やし続けていました。アメリカに駐在員として、派遣されると、いろいろな新しいビジネスの種を探して来て、実際にそれで事業部ができたこともあります。

個人的にも大いに好奇心を発揮しました。駐在になるとさっそく始めたのが、価値ある中古自動車のコレクションです。日産フェアレディの第一号なんていうのも手に入れていました。

ある時電話があり、アメリカには日本刀が数十万本あり、毎週どこかで日本刀マーケットが開かれている。それで、そこで掘り出し物を見つけて、日本に逆輸入するのだと言う。日本への輸入は成田で東京都教育庁に渡されて、検査許可されるだけだそうです。

一緒にやろうと言われてさっそく、日本刀大図鑑を買ってきて調べてみましたが、奥が深く、何がポイントかよく分かりません。その著者に電話をして、事情を話し、どうしたら良い物が見分けられるか聞いてみました。著者が言うには、そのことはよくは知っている、自分もよく出かける。しかしほとんど良い物は無い。また手入れが悪く、価値がなくなっているものも多いとのことでした。

それではダメですかと聞くと、『200本ほど買えば、1本くらいは良いのがある。』と言われ、そこまでは付き合いきれないと、私は断念しました。

しかし、彼はその後もアメリカ中を走り回って、結局当時でも60本くらいは入手していました。ちょっとした革命なら起こせそうですね。

Tさん帰国すると、彼らしい新ビジネスを推進し、その後ソニーを辞めて、医療機器の会社を設立しました。一方で、オークションにも積極的に参加し、また原宿などのフリーマーケットに出店して、そこではちょっとした顔役になったと聞いています。フリーマーケットで日本刀やフェアレディを売ったかどうかは知りません。

----------------------------------------------------------------------------

*ー バイクは楽し                                    (2009/11)

わが相方と二人乗りのバイクを見て、交差点の向こうの警官が唖然としていた。

免許証を取ったのは17歳、父親の仕事を手伝うためだった。今から53年の昔で、まだ近所には自動車を持っている家は無かった。

その頃の免許は、後年どんな大型バイクも乗れることになった。いつかはバイクをと憧れ続けて、40歳後半に念願がかなった。

ホンダの250ccのセコハン、とても大きな車で、気に入っていた。スピードに魅力を感じる年ではないので、いつも街中を30km以下でゆっくりと走っていた。大きな馬に乗ってトコトコと大地を行く気分だ。あくせく他の車が追い越して行くのを悠然とした気分で眺めながら走るのは、実に爽快だった。

そのうち、ただ走るだけでは面白くないと、ある日突然思い立ったのがこの写真だ。最初は交通違反にならないかと心配したが、警官には一度もとがめられることは無かった。これは痛快、とその後毎年デザインを変えてエスカレートして行った。後にも先にも、こんな素敵なバイクに乗っている奴は見たことはない。

 

 

 いつも塗り替えは5月の連休に行った。何度も描き直すので結構時間がかかり、全連休をつぶした。わが相方も悪乗りして、自分のデザインを描き込んだ。ちょっとした芸術家気分だ。何事も凝りだすと深く入れ込んでしまう。色々な彩色をしたいので、ペンキも随分探した。最初はオイルタンクだけに描いたが、だんだん広がり、タイヤまで色塗りをし、さらにエンジンも厚いペンキで覆われてしまった。しかしエンジンはダメだった。空冷だから一挙に冷却能力が下がり、すぐエンストを起こしてしまった。

 

 

―序章― はじまりは、部下のMさんがバイクを売ると言うので値段を聞いた。彼も友達から買ったセコハンなので35、000円でいいと言う。当時勤務していた厚木の工場にまで運んで来てくれた。『バイク乗ったことありますか』『いつもカブに乗っているよ。』『えっ、50ccですか、ちょっと乗ってみてください。』と言うので、50mほど走ったら『止めて。私が横浜までもって行くから、1週間は練習してください。』

なるほど、やはり50ccとは大いに違って猛獣だった。飼いならすのに随分かかった、その間よく事故を起こさなかったと思う。

何年か乗って、そろそろ廃車にして新車にしようかと近所のバイク屋へ行ったら『とんでもない、これホンダのホークと言うビンテージものだ。大切にしたほうが良い。』といわれた。

―終章―。そして、ある日、帰宅すると、門扉の内側に駐車してあったわが愛車が写真のようにスケルトンになっていた。オイルタンクとシートが消滅していた。一番描きこんであるタンクを持って行ったのは、きっとわが芸術に感動したからに違いない。一応警察を呼んで調査をしたが、多分高校生くらいが、3分間くらいで持って行っただろうという。

これでは走行できないので、バイク屋に部品を頼んだら、5万円くらい、これでは元値以上だ。今度こそ廃車する事になった。どうせなら部品だけでなく、全部持って行ってくれれば、廃車料もかからなかっただろうに。以来90ccを愛用している。

一度はハーレイを試乗したが、購入には至らず、今はハーレイのブランド名入りの半長靴だけが、わが工房の棚にある。